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大阪地方裁判所 昭和41年(行ク)6号 決定

申立人 稲津ヤク 外五〇名

被申立人 大阪府収用委員会

訴訟代理人 鰍沢健三 外五名

主文

申立人らの申立を棄却する。

申立費用は申立人らの負担とする。

理由

申立人ら代理人は、「被申立人が、起業者運輸大臣中村寅太、土地所有者兼関係人申立人ら間の大阪国際空港整備拡張工事用地の収用裁決申請事件につき、別表記載の土地に対してした昭和四一年三月三〇日付収用の裁決の執行は、大阪地方裁判所昭和四一年(行ウ)第四二号土地収用裁決取消請求事件の判決確定に至るまで停止する。申立費用は被申立人の負担とする。」との決定を求めた。その申立理由の要旨は次のとおりである。

「一、申立人らは、いずれも別表記載の土地(以下収用地というの所有者または賃借権者である。大阪国際空港整備拡張工事の起業者である運輸大臣中村寅太は、収用地等につき右事業の用に供するため、建設大臣の事業認定を受け、昭和四〇年一月二五日被申立人に対し右土地の収用の裁決を申請したところ、被申立人は昭和四一年三月三〇日右土地を同年四月三〇日を収用の時期として収用する旨の裁決をし、その裁決書の正本は同月三一日申立人らに送達された。

二、しかし、右裁決には、(1) 適法な土地調書の添付のない裁決申請にもとづき収用の裁決をした点、(2) 適法な手続を欠いて官民境界を確定し収用の裁決をした点、(3) 審理を行なわないで損失を認定し、収用の裁決をした点、以上三点の違法があるので、申立人らは大阪地方裁判所へ右裁決取消の訴を提起した。

三、ところで、申立人らは、いずれも本件土地によつて長年農業を営なみ一家の生計を立ててきたものであるから、右取消訴訟の結果をまたずに今前記裁決を執行されると、たちまち大部分の者は農業の継続が不能となり、残り少数の者も大幅に農業経営の規模を縮少せざるをえなくなつて、生活の危険に直面することになる。代替農地を求めることは事実上不可能に近く、生来百姓仕事しか経験のない申立人らには転業も困難である。したがつて、前記裁決を執行されると、申立人らは箸るしく、かつ回復の困難な損害をこうむることになるので、それを避けるため本申立に及んだ。」当裁判所は、被申立人の意見をきいたうえ審理の結果、申立人らの本件申立は理由がないものと認める。その理由は次のとおりである。

一、申立理由一に記載の事実は、〈証拠省略〉により認めることができる。

本件収用の効果として、申立人等は、収用土地の所有権又は賃借権を喪失し、他方、土地引渡(直接又は間接占有の起業者への移転)、物件(野壷)移転の義務を負担したものである。本件申立に係る停止の対象が、大阪府知事によつて行なわれるであろう収用土地の引渡および物件移転義務の、行政代執行法の定めるところによる代執行手続(土地収用法九九条)であることは、本件執行停止申立書の記載全体からうかがわれるところである。右物件移転義務の代執行によつて回復困難な損害が生ずることを疎明するに足りる資料はない。そこで、収用土地引渡義務の代執行によつて、申立人等各自の被る損害が、回復困難なものであるか否かについて考えてみる。

ところで、その代執行によつて被る損害自体については、これを次の二つに区別して検討するのが便宜である。

(1)  本件裁決が確定判決によつて取消された時までに被る損害、すなわち、申立人等のうち(a)その所有していた土地を他に賃貸していた者、(b)これを所有し、かつみずから耕作(自作)していた者、(c)これを他の申立人より賃借して耕作(小作)していた者が、右引渡代執行によるその使用又は収益不能に起因して被る損害(以下第一損害という。)

(2)  確定判決によつて本件裁決が取消され、収用土地の占有が回復・返還されても、収用土地(その一部)に滑走路(その一部)等が一たん設置されると、その全面的収去は社会経済的に得策でなく、これを農地に復元することは法律上不能であると認められることによつて、(a)従前の賃貸人たる申立人等の一部、(b)従前の自作者たる申立人等の一部、(c)従前の小作者たる申立人等の一部が、各自被る損害(以下第二損害という。)

二、そこで、本件申立人のそれぞれについて、本件収用処分の執行により生ずる損害が回復困難なものかどうかを検討する。

1  各申立人に対する本件収用による損失補償額の単価はいずれも賃借権のない土地については坪当り一三、四〇〇円、賃借権のある土地については、賃借権の補償額が坪当り五、三六〇円、賃貸人に対する補償額が坪当り八、〇四〇円であること、申立人らはいずれも、昭和四一年四月二六日各自に対する補償金の全額を受領したことが認められる〈証拠省略〉。

2  申立人(以下同じ)小林多美子、田辺豊治、南泉トシ子、吉岡愛子、前田輝義、古山豊、和仁静子、生田ミサ子について。

右申立人らは、いずれも豊中市以外に居住することが認められる(疏甲第一号証、もつとも、田辺豊治は申立書記載の住所は豊中市大字勝部一八八番地となつているが、もしそうであるとすれば田辺千代子と同一世帯と認められるので、その場合についてはのちに述べる)。したがつて、収用地を直接耕作使用していないものと推定され、他に生活手段(収入源)を有しているものと認められる。そうであるとすれば、右申立人らについては、第一損害は、後日の金銭賠償をもつて満足すべきものというべきである。

次に、第二損害について考えてみるに、右申立人らは、がんらい収用地をみずから農地として使用することを必要としていなかつたものであつて、これをあらためて宅地として使用、収益し得るものというべきである。

そうすると、右申立人らについては、本件収用処分の執行によつて回復困難な損害をこうむるものとは認められない。

3  樋上末三について。

右申立人は、従来電話局に三〇年間勤続し最近退職したものであることが認められ〈証拠省略〉、その収用地は五二八坪、損失補償金は七、〇七五、二〇〇円であることが認められる〈証拠省略〉。右事実によれば、右申立人は、収用地を耕作しなければ直ちに生活手段に困窮するような状態にあるものとは認められず、他に特段の疏明資料はないから、2に述べたと同じ理由により、収用処分の執行によつて回復困難な損害をこうむるものとは認められない。

4  小島三十[白皐]、田辺市之丞、田辺善喜について。

まず、第二損害について。右申立人らは、収用地を他人に賃貸していたものである〈証拠省略〉。したがつて、収用処分が取消され、収用地の返還を受けても、必ずしも収用地を農地に復元する必要はなくあらためて宅地として賃貸し、その賃料収入をもつて、公定小作料収入の喪失を補なうことができるものということができる。次に第一損害について考えると、右申立人らの受領した損失補償金の額は反当り二、四一二、〇〇〇円であるのに対し、収用地の農地としての賃貸料は.次項に述べるその農地の反当り年間推定収益に対比しても、高々反当り年額数万円を出ないものと認められる。そうすると、右補償金に対する所得税および住民税を控除した金額についての通常の利息(例えば年五分)収入だけを取上げてみてもなお、処分が取消されるまでの間の得べかりし賃料額をこえるものであり(処分が取消されれば、処分の執行によつて得られなかつた賃料相当額の損害賠償を求めることができる。)右申立人らが本案判決が確定するまでの間賃料収入を得られないことによつて、生活に困窮することはないから、第一損害は、後日の金銭賠償をもつて満足すべきである。

よつて右申立人らについても、収用処分の執行によつて回復困難な損害をこうむるものとは認められない。

5  石橋種和、田辺利彰、古沢宗七、田辺定次、寺野明治、中井昭治、樋上兵一、樋上源次郎、森田一三、森田太一、山内弘、山内己之助、山内菊松、山中正義、山下菊枝、遊上利一、吉森政治郎、渡辺美治郎について。

右申立人らは、いずれも豊中市大字勝部または勝部東町に居住し、収用地を所有し、かつみずから耕作(自作)していたものと認められる〈証拠省略〉。そのうち田辺利彰は田辺キク、田辺靖煕と、遊上利一は遊上ユミ、遊上正二と、山下菊枝は山下政子、山下博義とそれぞれ生計を一にする同居家族で、それぞれ共同相続によつて収用地を取得して、各自共有持分権を有し、田辺利彰、遊上利一、山下菊枝がそれぞれ世帯主であることが認められる〈証拠省略〉。右申立人らについては、同一生計に属する者をそれぞれ一個の生活単位として把え、収用処分の執行によつて生活に窮する等回復困難な損害が生ずるかどうかは、それぞれの生活単位を一体としてその世帯主について検討すべきである。

第二損害について。収用処分が取消され、収用地を返還されても、そのまま他に宅地として賃貸ないしみずから使用(同地上にアパートなどを建築して)したり、売却したりして収益をあげ得るものというべく、これをもつて、農地として使用できない損害を補なうことができるものというべきである。

第一損害について。右申立人らの受領した損失補償金の額は、反当り四〇二万円である。これに対し、収用地の農地としての反当り年間推定収益は、もつとも多く見積つても一一万円をこえないものと認められる〈証拠省略〉。そうすると、右補償金に対する所得税および住民税を控除した金額〈証拠省略〉についての通常の利息(例えば年五分)収入だけを取上げてみても、なお、処分が取消されるまでの間の得べかりし農業収益をこえるものと認められる。

前記収用地共有世帯は、他の共有者の関係から、田辺利彰の世帯の補償金取得分は九分の七、山下菊枝の世帯のそれは五分の三であるが〈証拠省略〉、なお計数上右の理が妥当し、遊上利一の世帯のそれは六分の一であるが、同人は他に単独所有地たる収用地を有し、その面積は共有地の面積の三倍をこえるから〈証拠省略〉、なお計数上前記の理を当てはめることができる。

なお、山中正義は遊上利一らと共有の一筆の土地だけについて本件申立をしているのであるが、遊上らとは世帯を異にし、かつ他に単独所有地五筆についても収用処分を受けたのであるが〈証拠省略〉、これについては本件申立をしていないのであつて、右遊上らと共有の土地を耕作していなかつたものと推定されるから、右土地の収用処分の執行によつて山中が回復困難な損害をこうむるものとは認められない。

よつて前記申立人らは第一損害につき、後日の金銭賠償をもつて満足すべきである。

そうすると、前記申立人らについてもまた、いまだ収用処分の執行によつて回復困難な損害をこうむるものとは認められない。

6  稲津義一、寺野清次郎、森田庄三郎、遊上貞次、辻村正治について。

右申立人らは、(収用地の一部を所有していたものであるが、)収用地の一部を賃借耕作していたものである〈証拠省略〉。

まず、第一損害について。賃借権の補償額は反当り一、六〇八、〇〇〇円である。しかし、前項に述べた反当り年間推定収益一一万円は自作地の場合のそれであるから、この額から賃料を控除した額が貸借人が賃借地から得る収益であり、これと右補償金額を対比すると、諸税を控除しても、右申立人らは、右補償金をもつて相当期間得べかりし収益の補填にあてることができると認められる。のみならず、右申立人らはいずれも、賃借地たる収用地のほかに自作地たる収用地を有するものであり、その賃借地面積に対する自作地面積の比率の最も小さい遊上貞次および森田庄三郎でも、賃借地よりも自作地の方が多い〈証拠省略〉。自作地については前項に述べたことがそのままあてはまり、自作地補償金と賃借地補償金とを合わせれば、右申立人らが、収用処分が取消されるまでの間、処分の執行により生活の困窮を来たすものとは認められない。したがつて、右申立人らは、第一損害につき後日の金銭賠償をもつて満足すべきである。

次に、第二損害について。右申立人らが賃借地であつた収用土地の一部の返還を受けても、もはや農地ではなく、しかも前記のように農地への復元が法律上不能と認められるときは、農地賃貸借は目的到達不能によつて終了するわけであるから、特別の事情のない限り、右申立人らは右終了時の賃借権価額相当の金銭賠償をもつて満足させられるべきではないといわねばならない、けだし、当該賃借権価額相当の賠償金をもつて、他の同等の農地を賃借することは、きわめて困難であるからである。しかし、右申立人らが金銭賠償をもつて満足すべきであるか否かは本件執行の不停止によつて維持される公共の福祉を犠牲にしても、なお右申立人らがその小作権を回復することが、社会通念上より価値多きものとして是認されるべきかどうかをも検討したうえで、決めるべきである。

〈証拠省略〉によると、本件収用土地がその一部の用に供せられるべき大阪国際空港は、国が昭和三三年在日米軍から返還を受け、昭和三四年七月三日空港整備法第一種空港に指定され、現に沖縄、台湾、東南アジア方面の国際線の運航が行なわれ、他方国内主要都市への国内線の一中枢でもある。大阪国際空港は、国際線においては、日本航空株式会社外四社、国内線においては、日本航空株式会社外三社の各航空会社がこれを利用し、さらに新聞報導用飛行、使用事業用飛行にも利用されている。その利用旅客数は、昭和三八年中国際線乗降三万六〇〇〇人、国内線乗降二四四万四〇〇〇人である。遂年利用旅客数は増加しており、国際線用大型ジエツト機の離着陸をも可能とする施設拡張の必要に迫られていることが一応認められる。

すると、大阪国際空港拡張整備事業は、前示各航空会社等を通じての比較的多数の一般内外人の空港利用のもたらす共通の経済的・社会的・文化的利益、すなわち公共の福祉にかかわるものであるから、本件執行の不停止によつて維持されるべき公共の福祉を一応肯定できるものというべきである。たとえ、空港の拡張が前示各航空会社の企業所有権保護の結果をもたらすにしても、右公共の福祉を否定することはできない。

他方、〈証拠省略〉によると、右申立人五名は、賃借権損失補償として、(順次)一九八万八五六〇円、二〇〇万四六〇〇円、四〇一万四六四〇円、六七八万五七六〇円、一九〇万八一六〇円をそれぞれ受取つていることが一応認められる。すると、本件裁決が取消され賃借土地の返還を受けても、農地賃借権を回復することができないために、右申立人らが賠償されるべき損害の額は、前示質借権損失補償額を下廻るものではなく、完全賠償が行わるべきであり、その可能性を肯定できるものといわねばならない。又、右申立人五名は、小作のみによつて生活の資を得ていたものでなく、他の本件収用土地の損失補償を受けていることは前認定によつて明らかである。これらの諸事実をみると、右申立人五名は、第二損害についても、社会通念上、金銭賠償をもつて満足すべきものであるといわざるを得ない。

よつて、右申立人らについても、処分の執行により回復困難な損害を被るものとは認められない。

なお、稲津義一は稲津ヤク、稲淳良子と生計を一にする同居家族で、共同相続によつて収用地を取得して各自三分の一の共有持分権を有し、稲津義一が世帯主であることが認められる〈証拠省略〉。この場合世帯単位で考えるべきことは、前項に述べたのと同一である。

7  森田治、田辺幸雄、田辺清彦、森田保、田辺千代子、遊上義雄について。

森田治、田辺清彦、森田保は、いずれも収用地を他人に賃貸していたものであり、田辺幸雄は収用地の一部を自作し、一部を賃借していたものであり、田辺千代子、遊上義雄は収用地を自作していたものである〈証拠省略〉。そして、右申立人らはいずれも農業以外の職業を有すること、すなわち、森田治は土建業、田辺幸雄、田辺清彦は米穀燃料店経営、森田保は大工、田辺千代子は保険外交員、遊上義雄は会社員であることが認められる〈証拠省略〉。

賃貸地については4、自作地については5、賃借地については6の各項で述べたのと同一であるばかりでなく、右申立人らはいずれも他に収入源を有しているのであるから、収用処分の執行により回復困難な損害をこうむるものとは認められない。

なお、田辺千代子は田辺悦子、田辺敏明と生計を一にする同居家族で、共同相続によつて収用地を取得して各自共有持分権を有し、田辺千代子が世帯主であることが認められる〈証拠省略〉。この場合世帯単位で考えるべきことは5に述べた。

8  稲津ヤク、稲津良子、田辺キク、田辺靖煕、田辺悦子、田辺敏明、山下政子、山下博義、遊上ユミ、遊上正二について。

右申立人らが、それぞれ稲津義一、田辺利彰、田辺千代子、山下菊枝、遊上利一と同一生計に属する同居家族であつて、この場合世帯単位で把えて世帯主につき判断すべきことは前三項で述べたとおりであり(なお田辺豊治が申立書記載のとおり豊中市大字勝部一八八番地に居住するものであるとすれば、田辺千代子と同じ住所であり、同人の長男であつて昭和一九年生れであるから〈証拠省略〉、同人の同居家族であると推定される。)その各世帯主については前三項で判断した。

三、以上のとおりであるから、結局本件申立人らについては、いずれも本件収用処分の執行によつて回復困難な損害を生じ、それを避けるため処分の執行を停止すべき緊急の必

要があるとは認められない。

よつて本件申立は全部理由がないから、棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 山内敏彦 高橋欣一 高升五十雄)

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